意見と偏見
意見を言えば、それは偏見だという。
偏見かもしれないけど、意見は意見だ。
学者や科学者は客観的事実や根拠を示すが、一般人はそこまでしない。
〜が好き、〜が嫌い、と言う。
結局意見なんて、本当にそうなのかどうかなんてわからない。
でも人に話すか文章で公開するまで意見は存在しないも同然なんじゃないかな?
お互い意見の違うことがあって当然。
一つ意見が違うからという理由で友だちをやめるなら、その人はずっとこれから1人で生きて行かなくちゃいけなくなる。
10年前の経験から今のその現場の評論をするのって危険な気がする。
ここ数年で実際に体験してわかってきた傾向や流れなら、意見として多少信憑性はあると思う。
まぁ、結局色々考えてみたところで答えは出ないな。
やっぱり意見は意見。
偏見だのなんだの言われようと、意見は人と共有することに意義がある。
自分の考えの中の意見を一つ言っただけで気分を害して離れていく人は、所詮その程度の付き合い方しかできない人だったというだけのこと。
世界のことや身の回りで起きていることで自然と意見が生まれる。ごく当たり前のこと。
それを抑える必要なんかない。
関連記事