The best is the enemy of the better.
「改善 に立ちはだかる敵は 最善 だ。」
この言葉がとても心に残った。
私たちは常に 改善 していく 行動 と 心がけ によってのみ、成長していくことができる。
物事において多くの場合、 最善 は存在しない。
それはどういうことかというと、 銃 による犯罪を日本国内から ゼロ にできる 法律 が作れないことからも明らかだ。
しかも、なぜ 銃の所持がこれだけ規制されている日本において、 銃 による 死者 が出るのか。
このことから、 アメリカで 銃を 法律で 禁止 しても意味がないことは納得していただけるだろうか?
銃に 良い 悪い は存在せず、あくまで 使う人 次第なのだ。
もう一つの例は、シートベルト着用の義務を後部座席にいる同乗者にも課す法律も、結果として交通事故による 死亡者 を ゼロ にできないことだ。
我々は少なくとも、その時と場合に応じた 最善 の案を選択し決定している。
ところが、 最善 と言っている 最善 とは、現実問題として 最善 ではない。
つまり私たちが 最善 という言葉に期待しているのは、 実は 答え 、 正解 、 真実 といった 絶対的でかつ最終的な 問題解決方法 なのだ。
我々には 人生のほとんどの場合において、 絶対的かつ最終的な問題解決方法 は与えられていない。
したがって、 最善 は存在しないことになる。
私たちが普段使う 最善 とは、現在取り得る 最大限もしくは最良の 選択 であり、それ以上それ以下でもない。
私たちは、自分たちが思っている以上に 欠点のある存在 であることを認めていることになる。
最善 という 実在しない言葉 に苦しんでいる方は、どうか安心して欲しい。
改善 という 前に進める言葉 を胸に抱いて日々 行動 したり、 心がけて 欲しい。
人間は 欠点 があるから 成長 を実感できるのだ。
自分が 最善の選択 をしたかどうかではなく、 改善できる選択 をしたかどうかで評価して欲しい。
人生において 悲劇 は起こる。
起きた 悲劇 に対し、決して 感情 に振り回されてはいけない。
悲劇 は 決してなくならない から 悲劇 なのだ。
逆に、 悲劇 が日常茶飯事でないことに 感謝 したいくらいだ。
最善 は存在しない。
正しい選択 と 誤った選択 は歴史が決める。
最善 と決めつけてとった選択には、代償を伴う。
改善 を信じてとった選択は、次の 改善 につながる。