けんきょ◎
2020年02月04日

謙虚 という言葉は感覚的に意味をとらえているが、具体的にどう説明すればいいか考えていた。
1つの考え方としては以下のとおりだ。
自分の行動を 「常に見守っている」 存在 がいると信じ、 意識的に行動している 状態。
常に自分の行動を見守っている存在 は、阿弥陀様でも八百万の神でも、キリスト教の神様でもユダヤ教の神様でも、ヒンズー教の神様でもイスラムの神様でも構わない。
大切なのは、例えば 道にゴミを捨てようとした ときに、その行動を 思いとどまらせようとする力 が働くかどうかだ。
「誰も見ていないから何をしても良い」 という考え方が、 「謙虚」 とは真逆の印象になる。
信仰心、つまり 空から常に自分の行動を見守っている存在 がいるつもりで 日々行動する心 が、人を 謙虚 にしてくれるのだ。
ようするに、 宗教でも宗教でなくても良い、 ただ自分を常に見守ってくれる 何か、あるいは 誰か がいれば 謙虚 になれるのだ。
あと、謙虚な人は 信用を 得る。
そして 信用される人は 仕事 を任される。
仕事を任される人は より重い 責任 を負う。
より重い責任を負うほど それに見合う 報酬を 得る。
逆に、謙虚でない人は 信用されない。
信用されないので 仕事 を任されない。
仕事を任されないということは 責任 を負わない。
したがって、責任を負えない人に 報酬は 発生しない。
周りを見回してみると、意外と謙虚な人たちを見つけることができる。
謙虚な人たちは 感謝 の言葉を口に出したり、それに伴う行動をする。
その一方で、謙虚ではない人たちも目につくことは事実だ。
謙虚ではない人たちは 感謝 の心がない。
自分中心であることがほとんどなので、自分が何かしてもらって 当たり前。
自分は 常に被害者 なので、何かをする、又はしてもらう 権力や権限、権利があると、声高に主張している。
謙虚な人たちが一生懸命築いてきた 信用 、 仕事 、 責任 、 富 を、
謙虚ではない人たちが、その 富を食いつぶし、 責任を負わず、 仕事を投げ出し、 信用まで無くす。
このモデルは人生の至る所で垣間見ることになる。
やはり少なくとも自分は、 常に 謙虚になる ことを追求したい。
いつも私のブログを見てくださっている方々に、感謝の気持ちで一杯です。
Posted by Dice-ETC at 22:36 | Comments(0)
| 知恵について

謙虚 という言葉は感覚的に意味をとらえているが、具体的にどう説明すればいいか考えていた。
1つの考え方としては以下のとおりだ。
自分の行動を 「常に見守っている」 存在 がいると信じ、 意識的に行動している 状態。
常に自分の行動を見守っている存在 は、阿弥陀様でも八百万の神でも、キリスト教の神様でもユダヤ教の神様でも、ヒンズー教の神様でもイスラムの神様でも構わない。
大切なのは、例えば 道にゴミを捨てようとした ときに、その行動を 思いとどまらせようとする力 が働くかどうかだ。
「誰も見ていないから何をしても良い」 という考え方が、 「謙虚」 とは真逆の印象になる。
信仰心、つまり 空から常に自分の行動を見守っている存在 がいるつもりで 日々行動する心 が、人を 謙虚 にしてくれるのだ。
ようするに、 宗教でも宗教でなくても良い、 ただ自分を常に見守ってくれる 何か、あるいは 誰か がいれば 謙虚 になれるのだ。
あと、謙虚な人は 信用を 得る。
そして 信用される人は 仕事 を任される。
仕事を任される人は より重い 責任 を負う。
より重い責任を負うほど それに見合う 報酬を 得る。
逆に、謙虚でない人は 信用されない。
信用されないので 仕事 を任されない。
仕事を任されないということは 責任 を負わない。
したがって、責任を負えない人に 報酬は 発生しない。
周りを見回してみると、意外と謙虚な人たちを見つけることができる。
謙虚な人たちは 感謝 の言葉を口に出したり、それに伴う行動をする。
その一方で、謙虚ではない人たちも目につくことは事実だ。
謙虚ではない人たちは 感謝 の心がない。
自分中心であることがほとんどなので、自分が何かしてもらって 当たり前。
自分は 常に被害者 なので、何かをする、又はしてもらう 権力や権限、権利があると、声高に主張している。
謙虚な人たちが一生懸命築いてきた 信用 、 仕事 、 責任 、 富 を、
謙虚ではない人たちが、その 富を食いつぶし、 責任を負わず、 仕事を投げ出し、 信用まで無くす。
このモデルは人生の至る所で垣間見ることになる。
やはり少なくとも自分は、 常に 謙虚になる ことを追求したい。
いつも私のブログを見てくださっている方々に、感謝の気持ちで一杯です。