2019年12月30日
善人と悪人

あの人たちはいい人たちだといえば、その中に悪い事をする人もいるが、全体的に見ればいい人たちということになる。
別に楽観主義ではなく、
私たちは全体的にいい人たちだろうかという事だ。
悪い事をする人たちはいるが、全体的にはいい人たちだと思う。
仮に逆なら、今ごろ日本は無法地帯に近い治安の悪い国ということになる。
では、私たちはどんな人たちから世代を受け継いできたのだろうか?
十中八九いい人たちから受け継いできたはず。
そうなると、ある疑問が生まれる。
よく自虐史観と言われるが、私たちのご先祖さまはいい人たちだったのか、
それとも悪い人たちだったのか?
個人的にはご先祖さまたちは全体的にはいい人たちだったんだと思う。
つまり、最初の前提の議論に戻るが、悪い人もいた中で全体的にはいい人たちだったんだと思う。
ここでややこしくなるのは、味方はいい人たちで、敵は悪い人たちという前提だ。
いい人たちを敵呼ばわりし、悪い人たちを味方呼ばわりする人はさすがにいないと思う。
第二次世界大戦中、はっきり言って欧米(欧米に味方した現中国共産党を含む)をほとんど敵に回した。
そう、彼らにとっては私たちのご先祖さまは 悪い人たち ということになる。
欧米の言うことは何でも先進的で正しいと闇雲に信じてしまった結果、あちらの言い分を受けいれ、
ご先祖さまは悪い人たちだったということになっただけだと思う。
つまり敵国側が戦犯と呼ぶ人たちは、私たち日本人にとっては 英雄 ということになる。
ここまでで何か私間違ったこと言ってますかね?
一方で、アジア(かつての中国共産軍は除く)は完全に日本の肩を持ってくれる。
欧米の植民地だったアジア諸国の近代史を振り返ってみれば明らかで、議論の余地もない。
第二次世界大戦後、10年位で独立を果たしている。
インドネシアもマレーシアも、そしてインドも、あの時日本が頑張っていなかったら独立はできなかったと認めている。
仮に植民地支配をしていた国が、そう簡単に「人権侵害じゃん!解放して独立させてあげなくちゃ!」なんて具合に独立を認めるだろうか?
結論としては、中には悪い人たちもいたけど、第二次世界大戦中の日本人は全体的にはいい人たちだったと言える。
つまり、悪いこともしてきた中で、全体的に日本はいい国だとも言える。
平成が令和になり、もうすぐ新年を迎えるにあたり、一つ明るい自分へのニュースとして記憶しておきたい。
誰がなんと言おうと、
私たちのご先祖さまは全体的に見れば いい人たち で、
その意思を受け継いできた私たち現代の日本人は全体的に見れば いい人たち で、
他国がなんと言おうと、 日本は全体的に見れば いい国 だということだ。
2019年12月29日
Happyって?

幸せな人には幸せな人が集まってくる。
日本に住んでいて、良かったなと思いながら暮らすのと、
日本は自分に何もしてくれないと不満を持ちながら暮らすのと、
どちらがより幸せな気持ちでいられるだろうか?
アメリカは「自由」と引き換えに、「自分の身は自分で守る」事で成り立っている。
どっちかというと社会主義国家になってしまっている日本は、「国家が私たちを守ってくれる」代わりに、ある程度「暮らしの制限」を受け入れている。
制限というと少し息苦しい気もするが、生まれてから日本で暮らしているせいか、さほど気にならない。
制限の中で与えられる自由もそんなに悪いものじゃない。
毎日健康で働くことができて、結果として8割くらいは誰かの役に立てている。
しんどいことも、辛いことも、凹むこともあるけど、
嬉しいことや、楽しいこと、思いっきり笑ってしまうこともある。
幸せって、結局そのトータルでいいって思っている。
なので、トータルでダイスは幸せという立場。
別に空元気とか、
脳天気とか、
ポジティブ思考じゃなくてもよくて、
ただ自分は幸せだと思っていればいい。
2019年12月28日
大人と子供

大人と子どもの違いは、聞きたくない事を笑って聞き流せるかどうかだと思う。
聞きたいことだけ聞いて、
聞きたい人だけと付き合い、
聞きたくない人を排除すれば、
一生大人になれない子どもが完成する。
大人な子どもと、まるで子どもな大人が増えている気がする。
2019年12月27日
ヒステリー

AP通信がかつて報じた記事
英文のオリジナルの記事ですが、読んでみると30年前の記事とは思えません。
まるで今2019年の出来事のように思えませんか?
そうです。今なんとかしないとヤバい的なやつです。
歴史は繰り返すと言いますが、教訓から学ばないのはもったいないですよね。
ヒステリーにならず、冷静に考えるともっといい方法があると思います。
2019年12月27日
日頃の行い

チキ ソ? に見えたのはさておき、
気持ちが自分を変えるより、
日頃の具体的な行動が自分を変えるんだと思う。
思う から する に変わる瞬間は何だろう?
きっと 勇気 かな。
2019年12月25日
社会主義?

CO2 削減 を 生産や富の分配 といった他の言葉に置き換えると、今世界的に起きている気候変動に対する取り組みは、なんだか地球規模で社会主義化を加速させているような、そんな危うさを感じるのはダイスだけでしょうか?
旧ソ連に散々いじめられてきた隣国は、似たような雰囲気をより敏感に察知しているんじゃないでしょうかね。
地産地消の取り組みをエネルギー政策に置き換えてみると、中国でソーラー パネルを作っているのであれば、別に輸出しなくても国内で消費すればいいし、ポーランドで石炭が際限なく採れるのであれば、わざわざ余計なカーボンフットプリントを残してまで別のエネルギーを輸入する必要はない気がします。
要するに、環境負荷が決してゼロではない太陽光発電は 正義 で、石炭火力発電は 悪 と全世界的に決めつける風潮に違和感を感じています。
というか、今の流れに少しでも懐疑的な立場をとると、すぐに 誰々は懐疑派だ というレッテルを貼ろうとする風潮そのものが、何か危険な臭いがプンプンするのです。
2019年12月19日
解放の年
あの頃は1人長野で商売をして、何とか自分ひとり食べていかれるようになることしか考えていなかった。
あれからもう8年。
2つの別の場所で行う仕事を一人ではどうしようもできない現実。
ダイスクローン計画を検討せざるをえない状況になりつつある今日。
来年は果たして解放の年になるのか。
2019年12月17日
選択肢を

今年は選択肢がなくいきなり壁が立ち塞がることが多かった。
ただひたすら壁を破壊して前に進む事しかできなかった。
来年は、選択肢が欲しい。
選びたい。
失敗しても間違っても、やっぱり選んだ結果なんだという実感が欲しい。
失敗の積み重ねが成功に繋がるのは間違いない。
失敗も、選択をした上で経験したい。
いきなり壁として立ち塞がるのはキツい。
2019年12月13日
聞き手?

コミュニケーションに小賢しい戦術は無意味。
準備も無意味。
大事なのは、日ごろからどれだけ生身の人間と言葉を交わすこと。
失敗してもいい、喧嘩になってもいい。
そういったリアルな体験からしかコミュニケーション能力は向上しない。
経験やスキルが不足している若者こそ、普段からなるべく多くの人と言葉を交わすように心がけることが大切。