命の重さ
2020年05月02日
4/2 〜 4/30 国別のコロナウィルスの死者数 増加数 はこちら↓
2020/04/304/2 〜 4/29 国別のコロナウィルスの死者数 増加数4/30 現在イタリア 約13000人→14,681人→15,362人→15,887人→16,523人→17,127人→18,279人→18,849人→19,468人→19,899人→20,465人→22,170人→22,745人→23,227人→23,660人→24,114人→24,648人→25,085人→25,549人→25,969人→26,384人→26,644人→26,977人→27,359人 →27,682人…
5/1〜
5/2 現在
イタリア 27,967人
→28,236人 人口約6千万人
スペイン 24,543人
→24,824人 人口約4千7百万人
アメリカ 63,856人
→65,711人 人口約3億3千万人
フランス 24,376人
→24,594人 人口約6千5百万人
イギリス 26,771人
→27,510人 人口約6千8百万人
日本 455人
→ 486人 人口約1億2千6百万人
昨日から日本国内の死者数は31人増えた。
イタリアでは死者が 269人増えた。人口は日本の半分。
スペインでは死者が 281人増えた。 人口は日本の半分以下。
アメリカでは死者が 1,855人増えた。人口は日本の2.5倍。
フランスでは死者が 218人増えた。 人口は日本の半分。
イギリスでは死者が 739人増えた。 人口は日本の半分。
「経済に目がくらみ、国民を見殺しにした。」という主旨の主張、国民の心に寄り添っているように聞こえる。
確かに、聞こえは良い。
経済 を取るか、 国民を救う か。
ここで思考停止してしまってはいけないと思う。
経済 = 金
国民 = 命
と定義しなおそう。
最初主張を書きなおすと、
「命 より 金 の方が大事。」
となる。
ここで悩ましいのは、命 があれば、 金 を生み出すことができるが、 金 がなくて 命 を維持できるのかという点だ。
社会主義国で例外なく起きることとして、政府が企業から 金 を取り上げ、 国民に 金 を配るという鼠小僧的な行為。
最初はうまくいっているように見えるのが落とし穴だ。
働くほとんどの国民は、大小あれど 企業 で 金 を生み出し、 その一部を得ているのだ。
つまり、
政府が 金 を取り上げる →
企業から 金 がなくなる →
企業が雇用を維持できなくなる →
多くの国民が失業する →
政府がさらに企業から 金 を取り上げようとする →
多くの企業が廃業、一部が国外に脱出 →
政府の 金 が尽きる →
国民は 命 が尽きる
となり、 金 が尽き、それから 命 が尽きるのだ。
見方によっては、 国民による経済活動 こそが 金 であり、 命 でもあるのだ。
この見方に従い、 政府が経済を止める ことは 金 と 命 を両方同時に奪うことになるのだ。
政府が経済を止め、国民に 金 を配るという行為は、仮想的な 社会主義国家 状態を作り出すということになる。
上記の 金 が尽き、それから 命 が尽きるプロセスを見直してみよう。
企業から 金 がなくなる ← ここを食い止めないといけないのだ。
本来であれば、
企業は 企業活動しかできない。
国民は 経済活動しかできない。
政府は 金 を生み出すことはできない。
なので、政府は 企業活動 と 経済活動 のできない部分を支援すべきだ。
つまり、 金 と 命 は 企業 と 国民 の両輪で維持されている。

Posted by Dice-ETC at 09:02 | Comments(0)
| 知らなかったこと
2020/04/30
4/2 〜 4/29 国別のコロナウィルスの死者数 増加数4/30 現在イタリア 約13000人→14,681人→15,362人→15,887人→16,523人→17,127人→18,279人→18,849人→19,468人→19,899人→20,465人→22,170人→22,745人→23,227人→23,660人→24,114人→24,648人→25,085人→25,549人→25,969人→26,384人→26,644人→26,977人→27,359人 →27,682人…
5/1〜
5/2 現在
イタリア 27,967人
→28,236人 人口約6千万人
スペイン 24,543人
→24,824人 人口約4千7百万人
アメリカ 63,856人
→65,711人 人口約3億3千万人
フランス 24,376人
→24,594人 人口約6千5百万人
イギリス 26,771人
→27,510人 人口約6千8百万人
日本 455人
→ 486人 人口約1億2千6百万人
昨日から日本国内の死者数は31人増えた。
イタリアでは死者が 269人増えた。人口は日本の半分。
スペインでは死者が 281人増えた。 人口は日本の半分以下。
アメリカでは死者が 1,855人増えた。人口は日本の2.5倍。
フランスでは死者が 218人増えた。 人口は日本の半分。
イギリスでは死者が 739人増えた。 人口は日本の半分。
「経済に目がくらみ、国民を見殺しにした。」という主旨の主張、国民の心に寄り添っているように聞こえる。
確かに、聞こえは良い。
経済 を取るか、 国民を救う か。
ここで思考停止してしまってはいけないと思う。
経済 = 金
国民 = 命
と定義しなおそう。
最初主張を書きなおすと、
「命 より 金 の方が大事。」
となる。
ここで悩ましいのは、命 があれば、 金 を生み出すことができるが、 金 がなくて 命 を維持できるのかという点だ。
社会主義国で例外なく起きることとして、政府が企業から 金 を取り上げ、 国民に 金 を配るという鼠小僧的な行為。
最初はうまくいっているように見えるのが落とし穴だ。
働くほとんどの国民は、大小あれど 企業 で 金 を生み出し、 その一部を得ているのだ。
つまり、
政府が 金 を取り上げる →
企業から 金 がなくなる →
企業が雇用を維持できなくなる →
多くの国民が失業する →
政府がさらに企業から 金 を取り上げようとする →
多くの企業が廃業、一部が国外に脱出 →
政府の 金 が尽きる →
国民は 命 が尽きる
となり、 金 が尽き、それから 命 が尽きるのだ。
見方によっては、 国民による経済活動 こそが 金 であり、 命 でもあるのだ。
この見方に従い、 政府が経済を止める ことは 金 と 命 を両方同時に奪うことになるのだ。
政府が経済を止め、国民に 金 を配るという行為は、仮想的な 社会主義国家 状態を作り出すということになる。
上記の 金 が尽き、それから 命 が尽きるプロセスを見直してみよう。
企業から 金 がなくなる ← ここを食い止めないといけないのだ。
本来であれば、
企業は 企業活動しかできない。
国民は 経済活動しかできない。
政府は 金 を生み出すことはできない。
なので、政府は 企業活動 と 経済活動 のできない部分を支援すべきだ。
つまり、 金 と 命 は 企業 と 国民 の両輪で維持されている。
