2020年02月01日
謙虚=成長

人生は自分を 謙虚 にしてくれる経験であふれている。
ほめすぎたり、物事がうまくいきすぎたりすると、人は 傲慢 になったり、 権利意識 が強くなってしまう。
若い時の 失敗 も、結果的に自分を 謙虚 にしてくれた。
異性との関係も、価値観の違いや感情的なすれ違いなど、 謙虚 にならざるを得ない経験の塊だった。
結婚も例外ではない。
もちろん死ぬまで結婚生活が続くことはあくまで 理想 にすぎないが、理想は理想として何も悪くない。
ここで様々な 例外 は割愛する。
結婚生活が続く方が、続かないよりも自分を 謙虚 にしてくれる。
結婚生活が何十年も続いていくに従い、お互いがどんどん 傲慢 になっていくとは考えられない。
ただ、片方がどんどん 謙虚 になり、もう片方がどんどん 傲慢 になれば… これは言わなくても 結末 はご理解いただけるだろうか?
ましてや子どもが生まれれば余計に親になった自分は 謙虚 にならざるを得ない。
ただし、親が子どもと 一緒に どんどん 傲慢 になっていくことは十分にあり得る。
この場合、ただ単に 子ども な親が 子ども と一緒に 子ども のまま 成長 せずにただ時間を過ごしていくことになる。
何歳になっても、世の中には 知らない ことだらけだ。
決して人を非難することが趣味というわけではない。
ただ、何かを表明するということは、 自由 だが、相応の 責任 を伴う。
表明内容が 科学的に間違っていた 場合はいつでも潔く謝罪するつもりで、それでも発信は続けていきたい。
別に誰かが 傷ついた からだけの理由では発信をやめるわけにはいかない。
もし誰かが あなたの存在で私は深く傷ついた と言ってきたとする。
あなたは、 存在する ことをやめるだろうか?
日々仕事をさせていただいていることも、自分が 謙虚 にならざるを得ない経験の連続だ。
謙虚 でなくても 成長 はできる。
しかし 成長 の中に 謙虚さ の累積がなければ、体は 大人 でも、中身はずっと 子ども のままだ。
試しに 謙虚さ が 収入、
傲慢さ が 支出
という自分の家計簿をつけてみればいい。
日々の振り返りで 傲慢 だった部分を マイナス として計上し、
謙虚 にふるまえた部分を プラス として計上する。
黒字 が 大人。
赤字 が 子ども。
傲慢さ は人をさらに 無知 にし、
謙虚さ は人をさらに 成長 させてくれる。
仕事、
恋愛、
結婚、
親になること、
これらを 選択 しない 自由 も存在する。
しかし、人生の中で 最も分かりやすい 自分を 謙虚 にしてくれる 機会 であることは間違いない。
仕事をしない、
恋愛をしない、
結婚をしない、
子どもを持たない、
これらの 選択 は 自由 であると同時に、 自分がもっと 謙虚 になるために、かなりの 努力 や 心がけ が必要になるだろう。
いずれ人は人生に終わりを迎え、
謙虚 な人も、 傲慢 な人も、等しく土に還る。
残るのは 残された人たち の記憶しかない。
あの人は 謙虚 だった。
あの人は 傲慢 だった。
自分はできることならば、 「謙虚な人だった」 と記憶されたい。