2020年02月07日
最善と1番

順位のある競争はわかりやすい。
競技や試験であれば成績が出るし、
商売であれば、売上高やマーケットシェアなどの結果で順位がわかる。
数学などの問題であっても、明確な 答え が存在するものもそうだ。
ところが、 ある問題を解決しなければならない 時、
順位 だとか 解答 といったものは激減してしまう。
実際は誰も どうしたら良いか わからない。
そんな時、 私たちは 最善の答え を探そうとしてしまう。
最善 が悪いわけではない。
決して 根本治療 に対し 対処療法 の方が優れているという意味ではない。
仮に 問題 に対して 根本治療 にあたる 絶対的かつ最終的な 解決策 があるならば、
それがすなわち 最善 であり、問題を解決することができる。
これもどちらかというと、 明確に順位の存在する事柄に近い。
結局最後に残るのは、 誰にも答えがわからない 問題ということになる。
安易に ベスト を尽くせば良い という方法論になるのは想像できる。
しかし、ここでいう ベスト というのは、 1番になる という類の意味ではなく、
あくまで 「その時点で」 最大限の効果を引き出し、 「その時点で」 最も良いと思われる 方法となり、
いわゆる 答え 、 正解 、 真実 といった 意味ではなくなってしまう。
このような場合、 最善 や ベスト を尽くすといいながら、
実際は 誰も 正答 や 真実 を知らずに行動をしていることから、
それはむしろ どうすれば現状を 「より良く」 できるかという 努力 になる。
誰にもわからない 「現段階での最善」 を追求するよりも、
「着実に改善につながる」 方法を実践した方が良いのではないか。
例えば、 最善案 を募った場合、選ばれた 最善案 には 命運 が託されてしまう。
なんとなく感覚的に、 全ての卵を ひとつのカゴに入れるようなものであり、
落とせば全部割れてしまうような危うさを感じる。
その一方で、 改善案 を募った場合、改善案Aに対し、さらに改善案Bが提案され、
それからさらに改善案Cが提案されるといった、 波及的な効果 や 議論への積極的な参加
を期待することができる。
問題に対する解決方法が誰にもわからない状態で、 最善案 を実行に移すというのは
多大な労力や費用を伴う可能性が高い。
しかも、その 最善案 が頓挫した場合、落胆や精神的ダメージは計り知れない。
それに対して、改善案を提案しやすい環境というのは、 いくつも改善案を実行に移せる状態を指し、
参加者が増えれば組織にとって 良い経験の蓄積となる。
卵をなるべく遠くへ運ぶなら、1人が全部の卵をひとつのカゴに入れて歩くより、
何人かがそれぞれ少しずつカゴに入れて歩いた方が良い。
2020年02月07日
最善と改善

BEST 最善 ベスト
BETTER 改善 ベター
日本語は難しい。
最善 と言っても、 ベスト と言っても、英語の BEST の意味には到底合致しない。
無理やり BEST に近い単語を翻訳に頼らずに探そうとすれば、
真実 ・ 答え ・ 正解
といった、 絶対的でかつ最終的 に 問題を解決できる という 概念 に行きつく。
挙句の果てに、 「よりベスト」 や 「いちばんベター」 という表現まで飛び出す始末だ。
島国の日本、海(溺死)しか逃げ場がない環境である以上、こういった 絶対的かつ最終的 という言葉は純粋になじまなかったのかもしれない。
アメリカの 銃社会の問題 を例に挙げれば分かりやすいかもしれない。
まず大前提を理解する必要がある。
アメリカ憲法 → 武装してでも自分の身は自分で守れ
現環境で、 銃による武装 を禁止する可能性は ゼロ だ。
改憲するしかない。
基本的に、
共和党は 銃を入手できる年齢を 21歳 にするのが BETTER だ。
民主党は 銃を禁止 するのが BEST だ。
のように、 憲法に沿った 現実的な 議論 と、 憲法を否定する 感情的な 議論 が対立している構図だ。
BEST と BETTER が対立すると、 問題は永久に解決しない ことになる。
議論 は、 BETTER を目指さない限り結論に達することは 困難(不可能と言いたい…) だろう。
ところで、
日本の 環境対策 に関するこれまでの実績は 評価 すべきだ。
これを否定してしまうと、 ごみの分別 や リサイクルへの取り組み もすべて否定されてしまうからだ。
二酸化炭素 という 「目に見えない」 基準よりも、
分別したかどうか や 具体的に処理したゴミの重さ といった 「目に見える」 基準をもっと重視すべきだ。
基準が時間とともにずれていく考えには 賛成 できない。
地球温暖化 が、今では 気候変動 に変わり、
CO2排出ゼロ が、 CO2排出 「トータル」 ゼロ に変わったりしている。
これまでも、 コレステロール は 悪 が、 善玉コレステロール と 悪玉コレステロール に変わったり、
ダイオキシン は 悪 が、誰も ダイオキシン について触れなくなったりしている。
BETTER を目指して取り組むのは 賛成 だ。
BEST を目指して取り組むのは 反対 ではなく、その行為自体が 危険 だ。
理由は 前回の投稿 と、 今回の投稿 の最初の部分に述べた 理由 による。
人類は 地球環境 と 地球外環境 を十分に理解していない。
科学者も 地球環境 についてすら、十分に謎を解明できていない。
真実 ・ 答え ・ 正解 に近づいてすらいない状態で、 未来予測 をしてもよいのだろうか?
天気予報 以上の 地球予報 をする 能力 が人類にあるのだろうか?
そういった観点からも、 議論は常に BETTER を目指すべきだ。
メディアや政治家、活動家たちが BEST を振りかざす限り、 ヒステリー としか評価されない。
まず BETTER を目指してはどうだろうか?